アンジへ、沢山の感謝をこめて。スリランカから来た少女。

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雨に打たれながら、赤土の道を歩いた。鬱蒼とした緑が濡れて、色を増す。

スカートのような巻き布を巻いた、

伴に歩いていたココア色の肌をした青年たちは、白い歯をのぞかせ、歌いながら、雨に打たれている。

 

気持ちよく笑いながら。

 

雨が降っても傘をささないでいい。

 

がんじがらめの日本の教室から来た17歳の私は、そのことがただ気持ちよく、雨に打たれ歩いた。

 

スリランカを思い出すとき、一番に心に浮かぶのは、この雨の道の風景だ。

 

それから、少しの苦みと伴に甦る、夜の帳に囲まれた一室。

 

真剣な瞳で私を見つめる、少年のように短い髪の少女の姿。

 

アジアの中で成功をおさめた先進国から来た私から、沢山のことを聞き出そうと、

それによって、当時内戦国であったスリランカの現状を少しでも変えたいと切に願う少女の、漆黒の、

あまりに真剣な切羽詰まった瞳。

 

テクノロジー。平和。豊かさ。教育について。矢継ぎ早に浴びせかける英語の質問。

 

佐賀の田舎の教室しか知らない、そしてろくに英語も話せなかった私は、彼女の質問にうまく答えられない。

何度も語ろうとし、躓き、出てこない単語に、もどかしさを覚えながら、時だけが過ぎる。

 

長い時間がたち、失望のため息と伴に、彼女は部屋を出る。

私は部屋に取り残され、亡くなった彼女の父のものであるベッドに身を横たえる。

広い広い南国の夜が私を包む。

 

 

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17歳の頃、プリクラと、ルーズソックスとカラオケと。

平和な国の高校生である私は、暇を持て余し、目標も定まらず、

ただ、焦燥感だけが募っていた。

麦畑の中、空に手をかざし、この手で、一体何ができるのか、どこまで行けるのか、

その答えを探していた。

教室しか知らない。そのことに言いようもない焦りを感じていた。

 

世界が知りたかった。

 

アルバイトをし、お金をため、スリランカに送った。

この平和な国で、さして勉強熱心でもない私よりも、ずっとこのお金を必要としている勉強をしたい少女がいるだろうと。

そして、飛行機に乗った。

飛行機に乗る前の私と、飛行機を降り金立の地に着いた私は同じものではなかったと思う。

当たり前の風景が、当たり前ではなかった、、そのことに気づいた。

三度の食事があることも、整備された道も。壁のある家も。平和も。

 

目をつぶると甦る銃を持った戦士たち。

ただ、愕然とし、世界の広さの、そのことに泣いた。

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そして、この秋、私はスリランカから、女の子を迎えることになる。

あの時の私と同じ17歳の女の子。真剣な瞳の少女と同じ高校の女の子。

 

アンジ。

 

私の感傷を吹きとばす、とびっきりキュートで元気な女の子だった。

日本のドラマを見、ワッツアップで家族と話し、ネットで海外の映画を見る。

あの時のスリランカの少女とは全く違う、うんと現代的な彼女。

 

「同じ国で、戦争が起こっている限り、私たちは幸せではない。」

憂いに満ちた瞳で、悲壮感を漂わせていたあの夜の少女とは違い、平和な国から来たアンジは、キャラキャラとよく笑った。

それにつられて、私も何度お腹を抱えて笑ったことか。

大人になり、涙を出して笑ったのはいつぶりだろう。ユーモラスで頭のよい彼女と過ごす時間は、本当に楽しかった。

 

 

でも、彼女自身もまた、幾つもの悲しみを超え、その上で笑っていた。

「どんなときでも人生を楽しみなさい」

亡くなった父のその言葉の通りに。

高校生の私が訪ねた都市、そしてまたアンジの故郷である、海辺の街、ゴールにはスマトラ沖地震の津波が襲う。

沢山の人々が亡くなるのを幼いアンジも見る。

スリランカの医療は、国が負担する。しかし、実際は、最新の医療と優秀な医師は私立の病院に集中し、貧しい人は適切な医療を受けることができない。そうやって苦しむ人を見て、アンジは医師になろうと決めた。

「多くの人はお金のために、成功を望む。でも私は違う。人々を助けるために、勉強するの。」

そう言い切るアンジは、本当にかっこいい。

スリランカでは、人口の6パーセントしか大学に行けず、大学入試はものすごく激しい競争だ。

勉強、勉強、勉強、アンジは本当に努力していた。

日本の医療システムを学んでもらうために、アンジに薬局にも来てもらって

実習を行い、日本の障害医療について説明した。病院での見学もさせていただいた。

薬局ではスタッフの大野さんが、「Stand by me」を歌ってくださり、本当に温かな時間を過ごした。

アンジが「薬局のスタッフは本当にいい方ばかりね。」

と言うので、

「そうでしょう!」

と力強く頷く。

 

スリランカにはないという地下鉄に乗りたいというアンジと地下鉄に乗り、イルカを見、空飛ぶ象やメリーゴーランドに乗った。

キリンを見て、閉館前の動物園を全力で走り、ゲラゲラと笑った。

 

アンジの初めてに沢山遭遇した。

 

お喋りなアンジが、静かになったのは、博多駅のてっぺんから夜景をみたときだ。

言葉を失くし、夜風に吹かれながら、アンジは頬杖をついたまま、遠い目をしていた。

眼には涙が光っていた。

沢山の想いが彼女の胸に去来するのを、私たちは黙ってみていた。

彼女は若い。夢や不安や、世界への気持ちや、故国への想い、それらが形にも言葉にもならず、

ただ、彼女の胸に寄せては返すのだろう。

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それから、ハプニングや涙を、アンジと一緒に沢山沢山味わった。

様々な困難。帰国延期。一時はどうなることだろうと思った長い滞在の最後の夜、

 

きらきら光る灯りをくぐりながら、ハイウェイで、私たちは沢山沢山語った。

 

人生のこと。教育のこと。政治のこと。医療のこと。

 

ゲラゲラと笑いながら。片言の英語で、思い切り不真面目に、真面目なことを語った。

 

私の大好きな作家ジュンパ・ラヒリのは、アメリカからイタリアに渡り、

イタリア語で書いたエッセイ『べつのことばで』の中で、

母国語ではない言語で語るとき、人は赤子になったような心もとなさを感じると同時に自由になると言った。

 

シンハラ語と日本語を離れ、アンジと私は、きっと自由になり、自分の心の内を語ることができたのだろう。

「苦しみは人を成長させる。苦しみのない人生は成長するチャンスを失った人生だ。」

17歳のアンジは言った。

 

空港で、アンジを見送り、周囲の人が振り返る大声で泣きまくる長男を抱きしめ、一つの物語が終わった気がした。

アンジもまた、ゲートを通り抜けたその先で、ひたすらに泣いたという。

アンジに関わった人が、声を揃えて「楽しかったね、いい子だったね」という。

それは、夢のような物語だっただろう。

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と、思ったら、物語は続く。

「ハーイ!カナさん!」

今日も元気に、スリランカからワッツアップのテレビ電話やメールが届く。

時代が変わったのだ。

私が17歳だった時の、あの夜の短い髪の少女を思い出しながら、あの頃より、沢山、私はスリランカから来た少女に、答えることができただろうか?そう思いながら、小さな夜の帳を胸の引き出しにしまう。

アンジが繋いでくれた心優しき人々と、ゲラゲラと笑いながら。

 

今、佐賀には、沢山の外国人が住んでいる。県別増加率は一位になったほどだ。

その一人一人に、家族がいて、夢があり、大切なことがあることを、ただ理解し、よき隣人として過ごしたい。

 

それぞれの国の事情を背負い、飛び立ち日本を選び、来てくれたそのことに感謝しながら。

 

虹のような花を咲かせてくれた少女たちに心からの感謝を。

 

アンジへ。愛をこめて。

 

 

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