白い光がさして、冬の陽だまりに心が緩む。
最近の集いは、なんだかとても温かくて、ゆったりと気持ちのいい時間が流れています。
昨年の夏から始まった、アサヒ薬局での自閉スペクトラムの保護者のための茶話会やヨガなどの小さな集い。
最初は手探りで、涙も多くて、みんな固い体でがちがちと緊張していました。
人にはなかなか分かってもらえない、育児の悩みを体につめこみ、いっぱい頑張りすぎて、
頑張っていることにも気づかなくなって、苦しいことにも気づかなくなって、
アサヒ薬局にきて話しながら、ほろほろと涙が出て、
ああ、片意地はって頑張っていたんだなと、気づく。
そんな感じだった茶話会でしたが、なんだか、最近、すごく柔らかな会になってきたなあと感じます。
先日行われたMinaさんのヨガの会の後の茶話会も、誰かが悲しめば、みんなで頭をひねって励まして、
気がつけば笑っていて。
そして、子どもたちも、会を重ねて、顔を合わせるたびに、この場所になれ、
気づけば親戚の子どものような気がしてきました。
小川さん、なつのみさん、Nさん、本当に気持ちのいい、優しい先輩ママさんが、
障害と付き合いたてのお母さんの戸惑いに、うんとこさ真剣に考えて、答えてくださり、
ただただ、この優しい方々に感謝がつきません。
きっと、誰もずっと笑顔でいれるわけではないし、孤独を感じてしまったり、自分を責めたり、
幼稚園、学校、お母さん達との関係で悩んだりするし、
だけれども、ここにきて、同じように日々を送っている誰かがいるということを知って、
一度肩の荷を降ろした後に、前より少し、日々が柔らかくなっているといいなと思います。
そう、今日小川さんから具体的な返答を二つ紹介。ストップウォッチと予定カードです。
集中するとなかなか、次の行動にうつることができない子どもさんたちに、ストップウォッチで、ピピっとなったらおしまいという方法をとると、楽しく次にうつることができるということでした。
また、転園などの大きな環境の変化は、絵カードを時系列で作成して、事前に見せておくと、
実際その状況になったときに、子どもさんがわりとスムーズに状況の変化を受け入れることができるそうです。
そして今はLITALICOさんで絵カードの代わりになる色々なアプリがあるので、それを使ってもいいかもしれません。
誰かが悩みを話して誰かが答えて、「よかよか」と笑ってくれる、
顔を合わせるということがどんなに大事かということを感じました。
小川さんの優しい笑顔と、知識に裏付けされた的確なアドバイスも、本当にほっとします。
そして、茶話会の後に開かれた、直人君のピアノリサイタル。
本当に本当に素敵でした。
普段はなかなか音楽会に行く機会がない、お母さんや子どもたちも音楽を楽しもうと開かれた会。
騒いでもいい音楽会です。
以前予告でも紹介した一重直人君。
即興でその場で音楽を作るという方法で、目の前でめくるめく音楽を生み出してくださいました。
直人君の指先が鍵盤に落ちるまで、どんな音楽が紡がれるか分からないから、
ぴんと空気が緊張する、そのドキドキした感じ。
そして始まる流れるようなメロディ。
そこにいた大勢の人たちの瞳が、だんだんときらきらして高揚してゆくのが分かる。
波のように押し寄せてくる、光が溢れるようなメロディ。
時に情熱的で鳥肌がたち、時に悠久の自然の中にゆったりと身を置いているようなものすごい感覚。
光溢れる空や、風の渡る樹々の梢や、
白く霞むタンポポの綿毛や、
深い山の中を人知れず流れる透明な小川の水のような、
懐かしくて、光に満ちているそんな場所。
音の中で、ふっとそういう風景が見えそうになり、遠いところへ飛んでゆくようなどこまでも広がる感覚。
そして途中で、セッションに入った大野さん。
一時間前に始めて出会ったという二人が、ギターやベース、ピアノ、声と交互に重ねながら、どんどんと加速してゆき、
見ている人たちから手拍子がかかり、観客も演奏者も境界がなくなってゆきます。
みんな興奮して、拍手喝さいで、ただただ、楽しいという感覚がそこにありました。
演奏が終わって、直人君のお話タイムに、直人君が話されてびっくり仰天したのは、
私の予告とは違って彼が、22歳だったことではなく、、笑
彼がピアノを習っていたのではなく、高校生の時に行った不思議な高校で、先輩たちが色々な楽器を演奏して、
今日のようにかけあっているのが楽しそうで、見よう見まねでピアノに触れたのが最初だったというお話でした。
楽しくて、楽しくてしょうがない、自然の中の夜に集まった人々の中に生まれる音。
自然の中の日々。
直人君にとっての音楽の原点。
それから、入った音楽学校で商業的な売れる方法ばかり習ってピアノを弾けなくなった直人君が出た
自転車で一年半の旅のお話。地図ももたなかったということ。
津々浦々で出会った人々の家に泊まり、伴に生活して、少しずつ音楽を取り戻していった直人君が、
たどりついた佐賀で、三瀬の山中で自然と伴に暮らすご夫婦の元で、見つけた生き方の答えのようなもの。
佐賀が故郷になったという直人君に、会場にいた佐賀県民のおばさま、お母さん、子どもたちの顔がにんまり。
直人君のお話から、私が感じたのは、真の生活の豊かさとは何かということでした。
情報化や資本主義的なものとは遠い場所。
ゆっくと自分自身で考え、自分で自転車をこぎ、時にヒグマに襲われそうになったりしながら収穫を手伝い、
顔を合わせて伴に時を過ごし、自分の中で信じる本当の素晴らしさを捨てないこと。
なんだか無性に自然の中で過ごしたくなり、旅に出たくなったのは私だけでしょうか?
そういえば、直人君に私が最初に出会ったには彼の最初の旅の途中、カフェブラッサンスの読書会でしたが、
その時の本は地図も持たずにアラスカに旅に出た青年のノンフィクションのお話。
あのとき、大人たちの議論の中で直人君はただ、彼と話してみたい、と言われました。
私自身も、どこか遠い場所に憧れ、教室の窓の外ばかり見ては、
星野道夫さんのアラスカのエッセイを繰り返し、繰り返し読み、
アラスカに旅に出た若かりし日々、同じような気持だったな、とふっと懐かしさに胸が
締め付けられました。
さあ。ここに集った子どもたちが旅に出るのは、どんな場所だろう。
沢山の小さな人たち。
あなたたちの時代がくるのを、私たちは、大きな風景として見守ってゆかせてください。
そしてこのお話には後日談があり、私はその後また夜のカフェブラッサンスで、直人君のピアノを聞く機会に恵まれました。
今度は直人君が旅の最後の日に三瀬のご一家の元で作った歌がついていました。
「三瀬の夜に」
という歌。
低くハスキーな直人君の声に、いい顔になってゆく大人たち。
しかも梶井基次郎の短編集『檸檬』の読書会の後のコンサートという最高に贅沢な時間です。
(私が、これまた繰り返し、繰り返し読んだ友人以上に近かった本ですが、
急きょ先生からの課題本になり、すごい嬉しい!)
直人君がピアノを弾くことができなくなった時のように、人生には時折、本当にくじけそうになる時もあります。
自分の音は何だったのだろうと、直人君がピアノを前に立ち尽くしたように、
日々の苦しさの中で、信念と違うことに飲み込まれそうになったり、
雑念や人の思惑に
自分の心がどこへ行ったのか分からなくなる時があります。
やるせなさと無気力と、自己矛盾とぽっかりと空いた心の穴。
毎日に消耗してゆく心。
『魔女の宅急便』のキキが飛べなくなった時のように、灰色の気持ちに押しつぶされそうな時。
でも、直人君が旅の彼方に、温かな人たちに出会ったように、
本当のことを真面目に追っていたら、いつの日か旅の先の風景にたどり着くことができるのではないだろうかと、
そういう勇気をもらった気がします。
きっと集ったみんなも毎日は、きっと簡単なものでも、単なる幸せだけなわけではない。
でも時にこうして、本当に豊かなものに触れ、心を浄化しながら、
本当に温かいものも場所も人もいることも知ったならまた日々を歩むことができそうな気がしました。
一緒に進んでゆきましょう。
また笑顔で会う日まで、アサヒ薬局に縁のあるどの人にも、それぞれの道のりに心からのエールを。
頑張って。負けないで。
くじけそうになったらまたここに来て笑いましょう。