桜の下の出逢いと別れ 青きことのはの力で羽ばたく~メルロ・ポンティ的メディアの挑戦~さがすたいるクロストークでの発表を通じて

アサヒ薬局 佐賀 発達障害 障害 さがすたいる Soar

メルロ・ポンティ。

 

丁寧で柔らかな詩のような言葉で、身体と世界の関係を捉え直したフランスの哲学者です

 

第二次大戦中、存在論が人々を煽り、記号化の極致にたどり着いたナチの迫害。

終戦後のヨーロッパでは、戦中の哲学を乗り越えるため、自らの哲学を顧み、解体する作業が必要でした。

デリダの脱構築などがそれに当たるのでしょう。

 

そんな中、メルロ・ポンティは、黒と白の狭間の灰色のままに留保することという『知覚の現象学』を執筆します。

さがすたいるクロストークを終え、過ぎてゆく時間の中で、その試みを振り返り、

クロストークで紹介されたSoarの記事を繰り返し読む中、私は、メルロ・ポンティの言葉に触れた時の、

あの柔らかな感覚を思い出し、そして「ことのは」の持つ力を信じ、言葉を紡ぐ人々の意志を感じました。

さがすたいる 佐賀県 障害 アサヒ薬局 Soar

2月、JONAI SQUAREで行われたさがすたいるのクロストーク。

アサヒ薬局でも縁のある方々の優しい眼差し、ユーモラスな目配せの中、

アサヒ薬局もその試みや、試みの中で見えてきた障害に関わる現状や課題を発表させていただく機会がありました。

そのクロストークで発表をなさったのが、Soarの工藤瑞穂さんでした。

 

Soar

 

鳥が羽ばたく、、という意味の言葉。

 

「人が持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていくメディア」

 

であるSoarは、身体や精神に障害のある方々や、里親と暮らす子どもたちや、LGBTやHIVなど、

社会ではマイノリティと呼ばれる人々の、人生の瞬間を記事にされているサイトです。

佐賀 県 アサヒ薬局 Soar

工藤さんがこのサイトを立ち上げたきっかけ。

それは、

べてるの家でした。

安心して絶望できる社会を、とべてるの家は言います。

 

私自身が精神障害の家族を抱え、孤立と不安の中にいたとき、べてるの家の本を読み

障害を抱えたまま、絶望をまた笑い合いながら、

生きてゆくことを許されている人々を知りました。

べてるの家の

『悩む力』を読んだ時、ただただ涙が止まらなかったのは、

それまで私たちを縛っていた精神障害は恥で、悲しいだけのことだという

価値観ががらがらと音をたてて崩れたからでした。

 

卒論で障害のある人々が今の社会でどう生きてゆけばいいかを、古い日本の意識の中に探ろうと、

『後撰和歌集』を手に京都をさまよい、貴船神社への山の道で出会った老人に教えてもらったのは、

 

「ゆれる」ことを許すという考え方でした。

 

「ゆれる」ということは、京都の言葉で、山の稜線のようにゆったりと曲がりくねるということです。

 

まっすぐでなくてもいい、弱くてもいい、

 

から、ゆれることを許しながら生きるということ。

アサヒ薬局でも障害のあるこどもや、お母さんの集まりや記事の発信を始めたきっかけは、

べてるの家のような場所があるから、そんな場所が佐賀にもできたらという想いでした。

 

 

なので、工藤さんが、さがすたいるのクロストークで、

Soarを始めたきっかけが、身内の精神障害の発病、彼が一生を病院で過ごすことになったとき、

たどりついたべてるの家だったということを聞き、

同じ動機で同じようなことをしている人がいることに、本当に驚き、私は本当に嬉しかった。

 

もっと前にべてるの家を知っていたら、彼が病気になるのを防ぐことができたのではないかを想った工藤さんは、

情報を知っているか知らないかが、誰かの人生を変えるのではと思われます。

そしてそんな場所や人のことをネット上で記事にしていかれます。

クロストークで、工藤さんの想いを聞いてから、私は、Soarの記事を幾つも読みました。

HIVにかかってからの日常を描いた裕人さんの記事。

 

障害のある方がただその時間を楽しむこと、それができる環境を森の中に作ったしょうぶ学園のこと。

 

70を超えて性転換手術をした音楽家の記事。

 

一つ、一つの物語が、ちゃんとその人の顔と、当たり前の日常を持って立ち現れました。

おりしもその時期、私は、子どものウイルスから肝障害を起こし、毎日ただうつらうつらと寝ていました。

立ち上がることができないし、意識がぼんやりするので思考することもあまりできず、昼夜を問わず、横になり、

いつもは医療を提供する側の人間が、むしろSoarに出てくる人たちに意識がずっと近くなっていました。

「たれこめて春のゆくへもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり」

 

という和歌は古今和歌集の藤原因香の和歌ですが、

緑のない時期に寝つき、きづけば、季節も移ろい

寝ている部屋の横を流れる川では、鯉が産卵をはじめ、川向うの茂みでは、

ちっちちっちとうまく鳴けずにいた若い鶯がほけきょと綺麗に鳴くことができるようになり、

生命のその命の萌芽である春が始まっていました。

 

その間、横になったまま、目が覚めた時にできるのは、本を読むか、スマホをみるか。

 

この時期、私を打ったものが幾つかあります。

 

『いのちの初夜』という北条民雄のらいびょうの病棟に入った時期の絶望と、

らいを受け入れて生き始める作者の実話を元にした短編。

 

エミリー・ブロンテの小説『ジェイン・エア』の寄宿舎で出会った

誰が知らなくても、自分の信じることを行う少女の言葉。

 

 

それからSoarの記事たちです。

 

インターネットの世界では、言葉は氾濫し、情報は溢れ、人を傷つける言葉も容易に吐かれます。

ネットサーフィンをしても、空しく時間が過ぎ、空虚な空間に取り残されることが多い。

 

 

 

でも、Soarの記事は違いました。

工藤さんが希望を与えたいと言われたように、

その記事の向こうに見える、人々の葛藤、弱さ、決意、日常、そして喜びには、

 

希望が、確かにありました。

 

ああ、沢山の人が、人と違うことに苦しみ、傷つき、誰かと出逢い、

人生を取り戻していく、その旅の途中にいる。

そのことを確かに感じました。

そして、私が感じたのが、メルロ・ポンティの哲学書のような、

柔らかな言葉とその向こうにある確固とした意志でした。

 

メルロ・ポンティは彼の哲学書の中で、

サン・テジュクペリの『戦う操縦士』の文章を引用します。

傷つき、苦しんでいる人がいるのなら、そのために戦う、テジュクペリの言葉に寄せて、

例えばナチスの時代、迫害された弱き人々がいたように、そこに苦しんでいる人がいるのならば、哲学をもって、

ことばの力を持って戦うということ。

ナチスの時代、10万人にも及ぶLGBTの人々はピンクの印をつけて収容所に送られ、

また知的、身体、精神障害の患者も収容所に送られました。

そしてそれを煽ったのもまた当時流行した存在論の哲学者たちの「言葉」でした。

そういった記号論と最も遠いものとして、

書かれたメルロ・ポンティの言葉のように、この現代でもまた言葉の力を信じて、

紡ぎ続けている人がいること、

私にはそのことがただ、嬉しかった。

横になった私がSoarの記事を通じて知った人々の姿に、知らぬまに力を得たように、

誰かの苦しみまた再び歩んでゆくその姿が、誰かを励ます、そんなことがきっとあるのでしょう。

 

誰かの幸福を願うために「ことのは」はある。

 

「やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」

 

紀貫之の『古今和歌集』の序文には、

 

「ことのは」が人の心を和らげる、そう書いてあります。

 

人の心を和らげ、癒す

 

ことのはの力を信じ、動きたい。

そして、今回こんなにいい機会をくださったさがすたいるの安富さんに心から感謝しています。

配置換えでさがすたいるを卒業されるとか、、、。

 

障害の世界に

もっともっと面白いムーブメントが盛り上がってゆく始まりだと思っていたので、

とても残念ですが、こうして短い時間の中に、

 

沢山の出逢いを与えてくださったこと、様々な価値観に触れる機会をくださったことに感謝します。

 

私もアサヒ薬局でも色々やってみて思うのですが、何かを企画し、広めてゆくのは、すごく大変なこと。

 

安富さんが、短期間の間に、これだけ温かい多くの人と一緒にムーブメントを作られたこと。

 

すごいなあ、、、と思うのです。

 

本当にお疲れさまです。

 

さがすたいるを通じて、佐賀に住んでいる様々な豊かな人たち、

また遠くで、同じ想いで頑張っている人たちに出会わせてくださり、

また小さな希望を胸に、新しい始まりを進んでいける気がします。

thank you very much for your kindness and your efforts.

 

私は正直、体を壊して弱気になった時があった。

 

 

なんとなくどこかに行きたくなってしまった。 

 

でも、寝ついて久しぶりに仕事に復帰し、

 

ほとんど体も動かせない障害のある青年の足をさすり続けているお母さん

 

重度の自閉症で、不本意な入院中の子どものために奔走しているお母さん

 

覚悟していてくださいと言われ、子どもの手術を前にして涙されるお母さん

 

そのお母さんたちの姿を見て、

 

お母さんたちの子どもを想う必死な姿を通じて、

 

また始めよう、、と思いました。

 

この人たちと歩んで行かなきゃ。

 

みんなが抱えている色々な困難は変わらない、、。

 

人生には、悔しいけど、祈っても祈っても叶わない時もある、、。

 

でも

 

この人たちの後ろで、ただ後ろにいるよ、、みてるよと、と言葉には出さずとも、

そう思いながら灯りを灯し続けたい。

 

そして、人生の困難や苦しみを抱えて、それでも子どものために祈っているお母さんの姿は、

障害のある家族との様々な過去を抱えている私をまた救ってくれるものでもあります。

 

伴に生き、日々を交差させ、それだけで人は人に影響を与えながら生きている。

 

きっとそういうものだから、

 

気持ちのいいことをしながら

 

気持ちのいい場所を作っていけたらと思う。

 

 

 

ご自身も大変な時に、私の体を気遣い、

 

お母さんの一人からもらった桜の花のお菓子を食べつつ、、。

 

桜の時期に再び

 

 

※!!

ここからは余談ですが、このさがすたいるの時に隣に座っていたMomoちゃん!!

突然倒れて半身麻痺になりながらも執筆された『Keep your smile』

素晴らしい!!

話すと長くなるので、また書きます、、!

みんな読んでほしい!!!