青い稲穂が揺れる上に真っ青な空が広がっている。
切れるように鮮やかな透き通る稲の葉。
その上に白い雲が沸き上がる。
あまりに綺麗な、綺麗な風景。
悲しいことがあるとき、シャッターを押すように刻み付けられる風景がある。
障害のある家族がICUに入っているとき、生と死の境目で高校生の私は病院から帰る車に揺られながら、
初夏の田園を見ていた。
青と緑で二分された風景は焼き付くように眩しかった。
どうして悲しいのに、風景は、綺麗なままなのだろう。
どうしてこんなに悲しいのに、日常は日常のまま流れゆくのだろう。
高校の廊下で、ふいに流れる涙の理由を問われても、私は答えることができなかった。
明るすぎる教室では。
笑いさざめく少女たちには。
こんな想いをしている人が沢山いることは、薬局で、人々の言葉に耳を傾けるようになってからだ。
夫の死。癌の告知。子どもの自傷。
引きこもり、耳を塞ぐ子どもをなすすべもなく見る母。
悲しみは人を動かす原動力になる。
あの頃の私が今、人々の話を聞く。
悲しいことに、ただ、分かる、分かる、、と頷くだけしかできないけれど。
そういう時、無神論者の私の内に朽ちた聖堂のようなものが在り、
青い稲穂と空がある。
悲しみの中で見た忘れがたい風景が、ただある。
家族のため遠い病院へ通う疲れ切った道中がある。
だから、悲しむ人の告白を聞き、また歩むために送り出す。
でも、今回さがすたいるのイベントで知ったのは、
青い空が青いままにも、緑の稲穂が緑のままにも見えない子どもたちがいること。
見ている風景さえ、違う子どもたちがいること。
8月4日、あの時と同じ緑の葉が眩い暑い夏の日、基山のPICFAでは
子どもたちの見ている風景はどんなものか真剣な表情で、
VRを体験しているお母さんたちの姿がありました。
自閉スペクトラムの子どもたちが見ている風景はどんなものか、
また、聞こえている音はどんなものか、視覚と聴覚の体験をするイベントです。
『感覚過敏』
それは自閉スペクトラムの子どもたちの症状の一つです。
ざわざわ煩い場所が苦手。人が沢山いる場所が苦手。
薬局でも音を遮るたまのイヤーマフをしているお子さんや、耳を塞いで、苦し気な表情をしている子どもたちをよく見ます。
そういう子どもたちには、感覚過敏を和らげるためのお薬を処方します。
イライラしていたり、家族に暴力をふるってしまう子どもたちの症状の根底に、音感過敏などの感覚過敏の苦しさがあり、
それをお薬で和らげることでイライラが減ることもあります。
多くの子どもたちと接し、自閉症の本を読み、私は「知っているつもり」になっていました。
でも、実際に彼らが知覚している世界をVRで体験して、
初めてこんなに「違う」世界を体験しているのかとショックを受けました。
例えば、視覚。
暗い場所から明るい場所へ行くと、入ってくる光の量をコントロールできずに、いつまでも視野が白くて、
何も見えなくなってしまい、人込みで少し視覚情報が増えると、沢山の点が視野にぽつぽつぽつと入り、視界が煩くて煩くて、
ハエを追うように点を払いたいけれど、点てんは消えてくれない。
音の情報量が増えると、壊れたテレビのノイズのように、ザーとノイズが入る。
これはたまらないな、、。
学校で集中できないとか、人と話せないとか、そんなこと当たり前だ、、、。
自閉症の作家東田直樹さんが壊れた機械の中に閉じ込められたみたいだと表現していましたが、
まさにそんな風で、テレビが壊れたような状態の中にずっと閉じ込められて、その上で生活をしていかなければいけないのです。
そしてそのような子どもたちは、医療的に情報が制御された『病院』などの医療機関にいるのではなく、
『学校』や、スーパーなど、この同じ社会の中で生活をしています。
学校側と子どもたちの環境を整えることを要求する親がわがままだと捉えられてしまうこともありますが、
もし、こんな風に知覚されているのだという共通認識と理解があれば、
社会の中でも医療的な措置としても、『配慮』がされるのではないかなと思いました。
この装置は小さなお子さんは使えませんが、
画像でもいい、何かの媒体で、小学生のような小さな子どもたちが、同じ学校に通う仲間のことを学ぶこと、
同じような感覚を体験することができたら、小さいうちから具体的な配慮や思いやりが育つのではないかと思いました。
そして、また今回のイベントを通じて、とても嬉しいことがありました。
出逢いです。
私自身家族の悲しみを知っているから、薬局でこのような活動を行っているのですが、
血肉になった悲しみは、
人を動かす力になる、、
そんな人が佐賀にもいる、、!そのことを実感し生きる力と勇気をもらった気がします。
そしてまた孤立し、理解してもらえずに苦しんでいる人がいるならば、大丈夫、佐賀にも本気の人たちがいるよ!と
笑って言える気がしたのです。
それが、PICFAの原田啓之さんと、ママZルームを運営する齋藤麗子さんでした。
PICFA PICTURE+WELFARE(福祉)を立ち上げた原田さんもご自身のお兄さんが知的障害があられ、齋藤さんは娘さんとご自身が自閉スペクトラムをお持ちです。
で、お二人とも本気なのです。
苦しみ抜いたから、人にどう思われようが、信じることを貫いて行動する、そんな底力を感じました。
だから、初対面なのに、胸がいっぱいになり、旧知の人に出会った時のように、喋り倒してしまったのでしょう笑。
まず、PICFAの原田さん!
斜めに帽子をかぶり、NYの地下鉄からふらりと駆け上がってきそうなお兄ちゃん!の原田さん。
当時月3000円だった作業所の賃金をどうにかして上げたい、、そんな一心で、アートと音楽をミックスした方法で
障害者の力を引き出します。障害者の賃金をあげることを、原田さんは相当叩かれたと言います。
でも、
「だって、両親も年取るでしょ。必要じゃん。」
小さい頃から家族の入院先の障害者の貧しくわびしい生活をみていた私も、
私がちょっとコンビニで贅沢したいように、障害があっても、ささやかな楽しみがあっても、
お金を稼ぐ夢を持ってもいいじゃない。両親に親孝行してもいいじゃない。
だから、そのために作業所の工賃をあげたいと、心の中でいつも思っていたので、拍手喝采してしまいました。
東京で大手企業を駆けずりまわって営業する原田さん。
そのせいもあって、PICFAのアートたちは海外の美術館や博多の地下街を飾ったり、
障害のある仲間たちもビル一面を描きあげるアートや、野外フェスなど、沢山の仕事をされてきました。
そして齋藤さんは、娘さんの自閉スペクトラムをきっかけに、自信の障害に気づかれたと言います。
齋藤さんは、昔、学校が怖くて怖くてしょうがなかったと言われました。
でもVR体験を通じ、それは当たり前だ、、と思ってしまいました。
齋藤さんと会場で、今この空間はどんな風に見えるの?と聞くと、聴衆は平面で、向こうの自販機だけがぼわっと浮かび上がっている、、と答えられましたが、そんな風に世界がよく見えないままで生活をするのがどんなにきつかっただろうか、、。
その齋藤さんは、しかし診断を受けて、これからどう生きればいいか分からなかった、誰も教えてくれなかったと言います。
だから、同じ立場の人たちを支える活動を始められます。
そんな齋藤さん、支援を始めるときに役所の人に言われた言葉が「障害者が人を支援できると思っているの?」でした。
でも、、と齋藤さんは胸を張って自信を持って堂々と、決意を表明されました。
こんな自分だから、苦しんだ自分だから、人を助けることで恩返しをしたい、私からプレゼントをしたいと。
エネルギッシュで前向きに突き進む齋藤さんのパワーに、いつかはちきれんばかりのパワーが胸に満ちてくるのです。
さて、このイベントアサヒ薬局からも大野さんがゲストスピーカーとして参加され
アサヒ薬局でのコミュニティ活動を紹介されましたが、
大野さんが言ったのは、誰しもが立ち寄れるそんな場所が
あればいいということ。
アサヒ薬局もそんな場所になるといいなと思いながら聞きました。
齋藤さんと漫才のような掛け合いをして、、
大爆笑の場内。
クールな鈴木さんまで笑っている、、。
小さい頃からご両親が障害のある方々を家に呼んで泊まらせていた、
小さい頃から足の悪い人をおぶり、両親は彼らと酒をのみ、
だから最初から垣根なんかなかったんだ、
そんな風に子どもたちは小さい頃から障害のある人と接する機会が必要だという大野さん。
最後はいつものように歌いますよ。
波打際の歌でした。
会場の後片付けをしながら、疲れの混じった顔でふっと笑う原田さん、、。いい顔してるな、、。
なんだかしみじみ思ったのでした。
本気の人は、信じることのある人はただ、黙々と信じることをする、、。
そして、いい顔をする。
そしてこのイベントの立役者、さがすたいるの宮原さんもいい顔してるな、、。
いい仕事してるからだな、、。
しみじみ、そう思ったのでした。
本当にお疲れさまでした。
信じることをただ、黙々とやれたら、、いいな。
そんな風にシンプルにいられたらいいな。
佐賀と鳥栖を結ぶ線は私にとってはとても辛い道のり。
病院のあった鳥栖は悲しい記憶が詰まった土地。
フラッシュバックがきつくて、感覚を閉ざしてしまわないといれない場所。
でも、
そんな場所で、優しい人たちが笑ってたから、
過去は塗り替えられなくとも、子どもたちの未来は変えられるといいな。