一枚の絵の前で立ち尽くす
様々な想いが胸の中に去来して、でも絵を見ている内に
それすらも時の向こうへ押しやられて、
ただ絵と自分だけが、世界の中に存在している
嵐の前にいるようで
同時に
無音の宇宙にいるような
人生に何度かそんな経験がある。
葉山の海沿いの現代美術館で、
京都の智積院の長谷川等伯の桜吹雪の前で
言葉を失ってただ立ち尽くした
そんな風に私は溝口さんのサイの絵の前で立ち尽くした
優しくて優しくて優しくて
少し
哀しい
瞳は赤い血の色
どうしてこんなに魂が揺さぶられるのか分からない
昔、まだ白い制服に身を包んでいた頃、家族が倒れた。
薬の離脱症状からの意識不明。せん妄。大の大人が赤子になって泣いた。
少女だった私は、しかし母の役を演じていた。
あの頃、私はなんと一人だったのだろう。なす術を持たなかったのだろう。
病院の廊下で、白い壁を眺めていた。
空虚な心で。
あの頃の一人だった私が、この絵に辿りついた。
そんな気がした。
そして見わたすと、光の洪水。色の洪水。
色とりどりの絵たちの光の乱舞。
喜びの。
きっと誰しも同じ。
弱さもある。苦しみもある。
しかし、光がある。
眺めると、はーとあーと倶楽部の一人、一人の顔が浮かぶ。
小さな体を襲う病気。
車いすの不自由さ。言葉を話せない、もどかしさ。
泣き叫ぶしか術のない悲しさ。
でも、喜びがある。
確かにある。
笑いがあり、ユーモアがあり、溢れる優しさがある。
気品がある。
アサヒ薬局に訪れる家族や、当事者は、きっと限りなく一人だと思ったことがあると思う。
悲しみの大きさに日常についていけない心を持て余したことがあると思う。
でも、きっと一人じゃない。
みんな多分同じなんだ。
様々なマイノリティを描いたアメリカの作家アダムヘイズリットの短編集がある。
精神障害のある家族を失い、また自らLGBTである彼の研ぎ澄まされた文体のデビュー作だ。
苦しい時、何度も読んだ。
「You are not a stranger here」
「あなたはひとりぼっちじゃない」
もしよかったら足を運び、実際の絵に触れそれを感じてほしい。
「You Are Not a Stranger Here」
きっとひとりぼっちじゃない