線路脇の小路で黄色い電車を眺める、小さな少年の瞳は
ラファエロの天使のような、澄んだ無垢な瞳だった。
また別の少年の、、
夏の日、、、
きらめく水の中で両手を動かし、水の感覚の柔らかい動きを確かめる
思惟的な瞳。
遊び疲れ、気怠い疲れでおぶわれて帰る道の、懐かしい汗ばんだ横顔。
彼らは日常の中にいる。
手を離すと、踏切の中に駆け出してゆきそうで
雑踏の車にひかれそうで
はっとするが、
危ういところで踏みとどまる。
踏みとどまる力を彼らは得ている。
その場所で。
少年たちの、少女たちの、日常を奪わないで伴に生きてゆくということ。
彼らの見ている風景を奪わないということ。
ゆうやけこども倶楽部は、日常の中で生きるという
彼らの尊厳を護る。
柔らかで少し疲れて笑う、そんな優しい番人と、そこに集う仲間たちと、
きっと底知れぬ覚悟を持って。
東京 小平にあるゆうやけ子どもクラブ。
それは障害のある子どもたちのための放課後と長期休暇のための児童倶楽部だ。
40年前、
ダウン症、自閉症など、障害を持った子どもたちの親は追い詰められていた。
今でこそあちこちに放課後デイができているが、当時、放課後障害のある子どもたちの居場所がなかった。
パニックを起こしたりする子どもたちと四六時中一緒にいる母親の孤立と疲労。
そんな母親たちのために。
想いを伝えようにも、言葉をうまく使えず、
伝える手段を持たず、途方にくれた子どもたちのために
親たちが、子どもたちの居場所を作る。
そうしてゆうぐれ、懐かしい街の中で、様々な障害を持つ子どもたちを受け入れ、
伴に過ごしてゆく。
映画『ゆうやけ子どもクラブ!』は、そんな彼らの日常を淡々と映し出したドキュメンタリーである。
シエマさんが配慮してくださった、家族だけの小さな試写会、
ただひたすらに泣いた。
まばゆさに
優しさに
くらくらした。
表現することが難しいから、パニックになると泣き叫ぶことしかできない
そんな宿命を背負い続けなければいけない少年の
小さな小さな背中。
その痛みに寄り添い、限りない輪で包む大人たちの中で、
世界に眼を開く子どもたちの瞳の美しさ。
時に疲れを滲ませながらも、泣く子どもをしっかりと抱きしめる優しい腕。
長い長い道のりを、重い子どもを背負い、てくてくてくてく歩む指導員さんの額に滲む汗と
優しい決意に燃えた横顔。
蝉の声と青葉と背負った子が見つめる水の流れと、、
一片の詩のような風景の荘厳さ。
黄色い電車
武蔵野の雑木林
私もかつて
同じゆうぐれに住んでいた。
ゆうやけ子どもクラブのある辺りに住んでいたのだ。
ICUのキャンパスの芝生で模索していた日々、
それから
汗ばんだ赤ん坊を抱いて小さく歌いながら歩いた子育ての日々
同じ風景の同じゆうぐれの中にいた。
少年が見ている黄色い電車を私もまたぼんやりと見ていた。
東京の郊外の雑踏のざわめき クラクションの音の中。
彼らが遊びに行く公園で私もまた遊んだ。
でも、私は同じ時期を同じエリアにいながら、
障害のある家族を精神病院の閉鎖病棟に閉じ込めて暮らしていた。
月に一度、赤ん坊を連れ、レンタカーで迎えににゆき、
父に思い切り日常を味わわせて
面会の終わりに彼を見知らぬ患者の群れに残してゆく悲しさ。
白い病棟。
カチャンと降りる鍵。
奪っている日常の風景。
奪っている
『自由』。
苦しくて苦しくて
古典の世界で血の涙が出るというけれど、それがよく分かった。
ジオラマの街に放ってあげたかった。
彼が無鉄砲にお金を使っても、パニックになって店先で寝転がろうとも、
何も起こらない、誰にも迷惑をかけない
ジオラマの街。
でも、同じ日々、ゆうやけ子どもクラブでは、子どもたちは、祝福されて生きていた。
泣き叫んでも、互いに慰め、笑い、散歩に行き、草のそよぎを聞き、落ち葉の感触を味わい
変わってゆく季節に眼を開いていた。
一方には、一つの家族では抱えきれない苦しさや孤立があり、
一方には家族が繋がり、互いの苦労を労り笑い、一緒に踏ん張っていこうとする大きな人の輪っかがある。
この差は一体どこから産まれるのだろう。
「知るか 知らないか」
「 繋がるか 繋がらないか」
たったそれだけのことが、人の人生を変える。
私は家族を入院させる病院を探す時、少しでも人間らしく扱われ、
少しでも薬の少ない病院を探すため、無数の病院に足を運んだ
山の中には、大勢の障害のある人や患者が、薬漬けにされ、なんの活動もなく、動物園か墓場みたいに
閉じ込められているそんな場所もあった。
そんな光景が心の中にあるから、
ゆうやけ子どもクラブで、子どもたちが、
優しさの中で変わってゆく、輝いてゆく、満ちてゆく祝福の力に
とめどもなく涙が流れたのだ。
浄化の
昇華の涙だった。
佐賀に還り、家族は温かなホームに入り、私は沢山の障害のある温かな団体と出逢い、
楽しく暮らしている仲間に出会った。
沢山の家族がもし途方にくれているなら、繋がるといいと思った。
それから、アサヒ薬局でもコミュニティ活動を立ち上げ、
団体には足を運び、受け入れる学校を調べ、情報を集め、障害のある家族に伝えることをしてきた。
同じ志を持ったスタッフが集い、母親たちの茶話会を行い
障害のある子どもたちのアートが家族を力づけてきた。
でも、コロナが流行し始めた頃から、人は人と繋がれなくなった。
アサヒ薬局も呼吸器をつけている難病の子供の家族や癌患者、
免疫疾患の方々がいらっしゃる中でコミュニティ活動を制限してきた。
お腹に穴を開けて栄養をとり、寝たきりのお子さんを必死で守ろうとするお母さんたちの顔が浮かぶから、
今は低空飛行をし、じっと耐える日々になった。
でも、休校や、自宅待機、ソーシャルディスタンス、など、
人と人の間に皮膜のような壁ができ、人が小さな世界に閉じ込められて、離れている中、
不登校の再発や、障害のある子どもたちの症状の悪化、
障害のある子どもの保護者の孤立など、様々な問題が出てきた。
施設や病院は面会ができないから、何か月も家族に会えない。
「会いたい」と言われても、会えないと家族が泣いたり、ストレスでおかしくなる光景を薬局で何度も見た。
患者さんや仲間たちを守ろうと頑張っている施設や病院のスタッフもプレッシャーで病んできている。
どんどんとずれてゆく世界の中で、人々は途方に暮れている。
そんな時、かかってきたシエマさんからの一本の電話。
「見てもらいたい映画があるんです。」
そして観た『ゆうやけ子どもクラブ!』には、
私たちが失った懐かしい、人と人との繋がりが、
肌と肌を合わせるぬくもりが、
優しさが、笑い声が溢れていた。
きらきらと
とめどなく、
限りなく。
コロナが始まってから、ネットには、人々の行動を責める批判に溢れている。
私たちはどうしてこんなに道に迷ってしまったのだろう。
手に持っていたはずの優しさを失ってしまっていたのだろう。
だけど、この映画が私を還るべき場所に還らせてきれた。
あっさりと。
いとも簡単に。
誰かを想う気持ちを蘇らせてくれた。
胸の中には、どんどんと膨らんでゆくものが満ち溢れた。
だから、こんな時だからこそ、この映画を観てほしい。
そして、取り戻せたら。
例え、物理的には離れていても、人を想う、ということを。
豊かな世界を。
再び。
シエマさんに、今、孤立したお母さんや、家族や子どもたちに、オンラインでも繋がる機会を持てたら、
みんな救われるのではないだろうかと相談したら、
シエマさん、すごい行動力、なんと監督をお呼びして、オンラインでも参加できるトークイベントを企画してくださった。
ぜひ、映画を観て、もしくは足を運べない人でも、今を、一緒に考えることをやってみましょう。
きっと知らない人が多すぎるから、当事者と家族が孤立し、病院で過ごすしかないようになるのだと思う。
でも、様々な特性や障害について、社会のみんなが知ってくれていたら、
社会の中に、彼らを受け入れる大きな受け皿ができていったら、きっと違う未来が産まれる。
障害を抱えた人も絶望しないで、生きてゆけるそんな社会になりますように。
心から願いをこめて。
上映時間:10/16(金)~10/22(木) 9:20~/14:15~10/23(金)~10/29(木) 9:20~/15:45~※10/30(金)以降の時間は決まり次第お知らせいたします。お問い合せ先:シアター・シエマ 佐賀市松原2-14-16 セントラルプラザ3F|電話 0952-27-5116
それにしても、ささやかだけれど、何かを変える力を持つ映画を上映し、
社会に光の種を撒き続けるシエマさん、
ピカピカ光る一番星のようだなあ、、
すごいなあ、、と思うのでした。